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『クリスマス』










 雪――それはどんな殺風景な場所でも、一瞬のうちに幻想的な世界に変えてしまう魔法の力を持った
 自然の産物で、人々の心を癒し和ませる効果があると言われている。
 そのため人々は、古来より雪を精霊として崇め、恐れ敬ってきた……そう、深山先輩が昨日言っていた。
 精霊ねぇ……
 俺は降り続く雪の空を見上げながら、疑問を感じずにはいられなかった。
 確かに幻想的だけど……ただ寒いだけのような……
 腕時計に目をやると、既に午後の4時を回っている。
 一体どうしたんだろ……
 俺はだんだんと不安になってきた。待ち合わせの時間からは、もうかれこれ3時間は経過している。
 あいつ、時間にルーズな人間じゃないのに……
 一抹の不安を覚えながらも、それでもひたすら待ち合わせの相手を待ち続ける。
 こうして雪の降る公園のベンチで待たされるというのは、端から見ればロマンティックな光景に
 見えるかもしれないが、実際やらされる立場になると、とてもたまったもんじゃない。
 ひょっとして、あいつに何かあったんじゃ……
 俺の気持ちが不安のピークに達しようとした時、不意に視界が遮られた。
「…………」
 少し乱れ気味の息遣い。
 温もりのある感触。
 間違いない。あいつだ。
 俺はホッと胸をなでおろすと、わざとらしく答えた。
「みさき先輩、かな?」
「…………!」
 予想外の答えだったのか、相手は拗ねたように俺のほっぺたをつねる。
「イタタ!!じょ、冗談だ!澪!!」
「…………」
 相手はその言葉に、俺の頬から手を離す。
 俺が後ろを振り向くと、そこには見知った少女の顔があった。
 降りしきる雪の中でダッフルコートに雪を積もらせ、静かに微笑んでいる。
「遅いぞ、澪」
 俺が文句を言うと、少女は持っていたスケッチブックに何かを書く。
『あのね』
『ゴメンなの』
「本当に悪いと思ってるんだったら、お詫びのキスしろ」
「…………!」
 バンバン
 途端に、スケッチブックが凶器となって俺の頭に振り下ろされる。
「こら。スケッチブックそんなことに使っちゃダメだろ?もう買ってやんないぞ?」
「…………」
 ぽかぽかぽかぽか
 少女は恨めしそうに俺を見ながら、スケッチブックを抱えてハンマーパンチを放ってくる。
「ははは。それだけ元気があれば大丈夫だな」
 俺は立ち上がって少女の頭を撫でる。
 少女は腕を止め、恥ずかしそうに上目遣いで俺をみた。
「それじゃあ行こうか、澪」
 コクン
 その少女、澪は俺の言葉に大きく頷いた。

 クリスマスの映画館。
 どこを見まわしてもカップルしかいない。しかもみんながみんな、いちゃついている。
 俺と澪もこんな風に見えるのかなぁ……
 ふとそんな疑問が頭をよぎる。
 映画のタイトルは『風の丘の向こうに』。今世間で話題沸騰の恋愛映画だ。
 一人じゃ絶対にこんなところに入らないが……
 スクリーンをボーっと眺めながら、俺は1週間前のことを思い出していた。
 それは今日と同じく雪の降る放課後のことだった。深山先輩に屋上に呼び出された俺は、
 そこで彼女から映画のチケットを2枚貰った。
「ナニこれ?」
「あなた知らないの?今世間で話題をさらってるロマンチックな恋愛映画よ」
「ふ〜ん。それで?」
「それでって……あなたも鈍いわねぇ」
「悪かったね。鈍くて」
「そんなことだと、女の子から嫌われちゃうわよ?」
「嫌われないように気をつけるよ」
「まぁいいわ。もうじきクリスマスじゃない。だから、これで誘うのよ」
「誘うって……みさき先輩を!?」
「みさきを誘ってどうするのよ。澪ちゃんの方」
「澪の奴を!?」
「なに驚いてるのよ。あなた達が付き合ってるって言うのは、部内じゃ有名よ?」
「有名って、俺達付き合ってないし。っていうか、澪の奴、こんな映画見るかなぁ?」
「大丈夫。私の調査によると、澪ちゃんの好みはこの手の映画らしいから」
「ホントかよ?」
「本当よ」
「へぇ……澪がねぇ……それにしても、深山先輩詳しいんだね」
「まったくだわ。なんであなたより私のほうが澪ちゃんの個人データに詳しくなくちゃいけないのよ?
 普通逆じゃない?」
「そんなこと知るかよ」
「それはつまり、あなた達の仲が全く発展してないという結論が導き出されるわね」
「だから俺達は……」
「そこで、丁度クリスマスだし、丁度いい機会だから映画でも見に行ってきなさい」
「深山先輩……」
「いいのよ。お礼には及ばないから。みさきにはちゃんと黙っててあげるから安心して」
 だから違うんだってと反論しても、とてもとりあってもらえそうになかった。
 それに、例えおせっかいだとしても、先輩の好意を無にしては後々どんな災難にあうか
 わかったもんじゃない。
 ふぅ……
 クイクイ
 澪が俺の服の袖を引っ張る。そのため俺は現実に引き戻された。
「ああ、なんでもない」
 俺は横に座っている澪の頭を撫でる。既に館内はカップルで埋め尽くされていた。
『あのね』
『カップルばっかりなの』
 澪はスケッチブックに書いた字を、俺に見せる。
「俺達もきっと、周りから見れば同じように見えるよ」
「…………」
 澪は恥ずかしそうに頬を赤く染めると、俯いてしまった。
 かわいい奴だ。
 俺は改めてそう思わずにはいられなかった。
 やがて、映画の上映の開始を告げるブザーが鳴り響くと共に、館内の照明が落とされていった。
「いよいよ始まるな」
「…………」
 澪は、そっと俺の右手の上に自分の左手を乗せてきた。
 スクリーンには美しい海岸の風景が映し出されていた。

「面白い映画だったな」
 コクコク
 澪は元気よく首を縦に振る。
 見てなかった奴ほど過剰反応するって言うけど、本当だよな……
 俺はそんな澪を見て、そう思わずにはいられなかった。
 澪の奴、途中から眠ってたし。
 まぁかく言う俺も、澪よりちょっと後に眠ってしまったわけだが……
 俺が起きた時には澪の奴はまだ寝息を立ててすやすや眠っていたので、俺が寝ている間も
 間違いなく寝ていたはずだ。
 まぁ、澪が面白かったって言うんなら、それでいいんだけど。
 映画館を後にした俺達は、雪の降りしきる街中を互いに寄り添うように歩いていた。
 街灯には火が灯り、色鮮やかなイルミネーションが街全体を華やかに装飾している。
 突然澪が街灯の傍で立ち止まり、スケッチブックを取り出し、何かを書き始めた。
『あのね』
『ビックリしたの』
「ビックリしたって?ずっと澪のことを待っていたことか?」
 ふるふる
 澪は激しく首を横に振る。
 違うのか……
「それじゃあ、俺が澪を映画に誘ったことか?」
 コクコク
 今度は大きく頷く。
「ははは。俺だって澪の好みくらしてるよ」
 ホントは深山先輩に教えてもらったんだけど。
「…………」
 澪は嬉しそうな顔をして、またスケッチブックに何かを書く。
『お礼』
「お礼?」
『しゃがんで』
「しゃがんでって……こうか?」
 俺は澪に言われた通り、少ししゃがむ。
『目を瞑って』
「目を瞑ってって……澪、よくそんな『瞑る』なんて難しい漢字知ってたな」
 バシバシ
 ちょっと茶化しただけで、澪のスケッチブックが振る降ろされる。
「わかったわかった。これでいいか?」
 俺は澪に言われた通り目を瞑った。
「…………」
 澪は俺の服の裾を引っ張る。
 もうちょっとしゃがめってことか?
 俺はさらに姿勢を低くした。
 さてこれで一体ナニを……
「…………」
 不意に、唇の辺りに、何か温かく柔らかいものが触れた。
「?」
 俺はそっと目を開ける。
「!」
 そして俺は、言葉を失った。
 目の前には、瞳を閉じた澪の顔が。
 つまり、今俺の唇に触れているのは……
 俺は再び瞳を閉じた。
 澪、そこまで俺のことを……
 俺は腕を伸ばすと、彼女をそっと抱きしめた。
 甘い吐息。
 優しい温もり。
 柔らかい鼓動。
 全ての想いが、澪から伝わってくる。
 そうだよな……小さい頃から、こいつにはずっと足かせを嵌めてきたんだもんな……
 俺のことをこんなに想い続けてくれて……ありがとう……澪……
 そして俺は、澪と永遠の盟約を交わした。

(おわり)



written by 杠葉湖さん





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